バスケ河村勇輝のNBA契約は1.6億超? 挑戦し続ける価値と資産形成におけるヒント
昨年8月に開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023の舞台で、世界中にその名を轟かせた人物のひとりといえば河村勇輝選手。バスケットボール男子日本代表チームの中で、小柄ながらアグレッシブなプレーで何度も試合の局面を救ってきた選手です。河村選手の貢献もあり、日本は最終順位19位・アジア1位の成績で幕を閉じました。
その活躍っぷりは、FIBA(国際バスケットボール連盟)がピックアップした「ワールドカップで印象的な活躍を披露した選手」13名の中に名前が挙がるほど。本大会で海外挑戦までの距離が縮まり、今年の9月7日(現地時間6日)にはNBAのメンフィス・グリズリーズとの契約締結が正式に発表されました。
本記事では、国内のBリーグで確固たる地位を築きながらも、さらに高みを目指してNBAに挑戦する河村選手の姿勢から、豊かな人生を築くための学びを読み解きます。
日本バスケ界の若きスター誕生まで
圧倒的な実力と果敢なチャレンジ精神を兼ね備えた河村選手は、幼少期からバスケットボールに親しみ、その才能を早くから発揮していました。
2001年に山口県で生まれ、6歳でバスケデビュー。小学2年生の頃に地元のミニバスケットチームに加入するとますますバスケにのめり込むようになり、6年生の頃にはチームを優勝に導いています。
中学に進学するとバスケ部に入部し、1年生の頃からスタメンとして試合に出場。2年生の夏の大会後はキャプテンに就任し、目標としていた全国ベスト16進出を果たしました。河村選手が入学した当時のバスケ部は県大会で1〜2回勝てるくらいの実力だったそうですが、またしても結果を残したのです。
中学での挑戦が終わる頃、試合を見ていた全国屈指のバスケ強豪校・福岡第一高等学校から声がかかります。地元の進学校へ進む道とどちらを選ぶか悩んだ末に、「日本一をとってみたい」という気持ちからバスケの道へと進むことに。
福岡第一高等学校への入学後は全国大会を四度制覇し、ウィンターカップで2連覇、ベストファイブ選出……とメキメキ頭角を表し、全国的に注目されるようになります。多数のバスケットボールクラブの目に留まり、高校3年の1月には三遠ネオフェニックスの特別指定選手として加入。高校卒業を間近に控えて史上最年少のBリーグデビューを果たし、初の千葉ジェッツ戦で史上最年少得点の記録を更新しました。
2020年に東海大学に進学し、1年目でインカレ優勝に貢献。オフシーズン中の同年12月にはBリーグの横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手として入団します。2022年3月には同チームとのプロ契約締結を発表すると同時に、大学中退を決意しました。
そしてなんと、プロプレーヤーとして初めて迎えたシーズンでBリーグの年間MVP(最優秀選手賞)と最優秀新人賞をW受賞。その他レギュラーシーズンベストファイブ、アシスト王、MIP(レギュラーシーズン最優秀インプレッシブ選手賞)など数々の賞を総なめする大活躍を見せています。
世界最高峰の舞台・NBAへの挑戦
こうしてプロバスケ選手としてのキャリアを歩み始めた河村選手は、2023年8月に沖縄で開催された「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」の日本代表として選出されます。
172cmというバスケ選手としては小柄な体型を活かしたスピードや多彩なシュートスタイル、彼の代名詞とも言える“ノールックパス”によるアシストなどで得点を重ね、パリオリンピック出場に大きく貢献。男子バスケットボール日本代表チームは、1976年のモントリオールオリンピック以来48年ぶりとなる自力でのオリンピック出場を果たしました。
国内Bリーグでの活躍に加え、W杯やパリ五輪における河村選手のパフォーマンスは日本国内のみならず世界中に広まり、複数のNBAチームからオファーが届くように。中でも彼が熱意と環境に惹かれたという「メンフィス・グリズリーズ」へ加入することになりました。
河村選手が同チームと今回結んだ契約は「エグジビット10」。通常のNBA選手の本契約と違い、NBA入りを目指す若手選手をテストする契約で、リーグ最低年棒での1年契約かつ給与無保証という条件です。ただし、シーズン開始前に「ツーウェイ契約(NBAと傘下のGリーグチームの両方でプレーする選手と結ぶ契約)」への切り替えが可能。また、レギュラーシーズンの開幕までに契約を解除された場合も、Gリーグチームに入団することができます。
気になるのは、その年俸額です。
横浜ビー・コルセアーズに所属していた頃の契約内容は非公開となっていますが、2022-2023シーズンは新人契約で460万円程度、その後の3年契約では1年あたり1億円程度だったと推測されています。
一方、メンフィス・グリズリーズでもしも1年間契約が続けば、リーグの最低年俸——昨シーズンベースで考えると約112万ドル(約1.6億円※)を——手にすることができます。万が一、途中で契約解除になった場合は日割り計算で支払われ、さらにGリーグで60日間プレーした場合は最大5万ドル(約740万円)のボーナスが支払われる予定です。
※1ドル147.87円(10月8日11時時時点のレート)で換算した場合。以下同様
NBAで活躍した場合の収入のレバレッジやスポンサー企業の獲得を考えると、得られるメリットは大きいでしょう。
人生を豊かにする“挑戦し続ける姿勢”
ようやくNBAの入口に立った河村選手にとって、ここからが本当の戦いです。エグジビット10契約でも出場できるプレシーズン戦が絶好のアピールの場となるでしょう。
エグジビット10契約やツーウェイ契約の期間中に活躍し、正式なNBA契約にたどり着いた選手も少なくないため、ファンからは期待の声が挙がっています。
早速、10月8日(現地時間7日)に行われたメンフィス・グリズリーズ対ダラス・マーベリックスのNBAプレシーズンゲーム初戦にて、河村選手が第4クオーターから途中出場。最初に3点シュートを決め、9分16秒のプレーでフィールドゴール成功率50.0パーセント、5得点3アシストを記録しました。試合は121-116でグリズリーズが勝利し、河村選手個人としても持ち味を発揮できた「NBAデビュー初戦」となりました。
現在の契約上では今後の出場は確約されていませんが、22日(現地時間23日)の開幕に向けて必死のアピールを続けることになるはずです。
エグジビット10契約を経験した人物といえば、日本人2人目のNBA選手となった渡邊雄太選手が挙げられます。2018年にメンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結んでNBAデビュー。2020年にはトロント・ラプターズとエグジビット10を結び、その後ツーウェイ契約を経てシーズン終盤に正式契約を締結しています。
そこからブルックリン・ネッツ、フェニックス・サンズでの経験を経て、2024年にグリズリーズに復帰。同年7月11日にはNBAの契約年数を残して千葉ジェッツへの入団が発表され、来季からは日本のBリーグ入りを果たすこととなりました。
日本でのプレーに活路を見出した渡邉選手から、まるでバトンを受け取るかのようにNBAデビューを果たした河村選手。両選手の挑戦の形は異なりますが、自らの道を切り開くために果敢に挑戦を続けている姿勢は共通しています。元いた場所ですでに確立されたスター選手であり、高額な年俸や安定した収入源、そして実績があったにもかかわらず新しい世界に飛び込む選択をしているのです。
河村選手や渡邊選手が示す最大の教訓は、挑戦を続けることの重要性です。彼らはこれまでの成功に甘んじることなく、常に上を目指し、実力を磨き続けました。これからもさらなる高みを目指すでしょう。
彼らの決断には投資とも似た要素があります。挑戦にはリスクが伴いますが、その先に待つリターンは大きく、資産形成にとって欠かせません。
私たちも河村選手や渡邊選手のバスケットボールへの姿勢から、安定した現状に甘んじることなく、挑戦し続けることの大切さを学ぶべきです。挑戦によって得られるものや価値観は人によってさまざまではあるものの、最終的に豊かな人生を築けることは間違いありません。